3月。職業訓練が終わり、転職先も無事に決まって、勤務開始まで1ヶ月ほどの暇ができた。

職業訓練中は、毎日決まった時間にスーツを着て出かけ、1日中勉強づめだった。
そこから解放され、自由に過ごせるのはうれしかったが、毎日家で過ごしているとだんだんそれも飽きてくる。
そこで、青春18きっぷを買ってひとり旅をすることにした。
青春18きっぷとは、JR各社が発行している期間限定の乗り放題きっぷである。
5日分がワンセットで売られており、1日あたり2,300円ほどで全国のJR線の普通電車を自由に乗り降りできる。
特急電車や新幹線には乗れないので、移動に時間はかかってしまうが、安くのんびり電車旅をしたい人にはおすすめだ。
その18きっぷを使って計5日間、西へ東へと移動し、道後温泉に行ったり、富士山を見たりしてきた。
ローカル電車を乗り継ぎ、移動中の車内では、のんびり本を読んだり売店で買ったお菓子を食べたりして有意義に過ごした。
始点から終点までずっと電車にゆられ続けていて、思い出したことがある。
「メンタルがやられて辛くなったときも、こうやってずっと電車に乗り続けて終点まで行こうとしたことがあったな」ということだ。
職場でうまくいかなくて、どうしようもなく辛くて身体がぐーっとこわばって、胃がきゅーっと痛くなった日の帰り。
いつもなら家の最寄り駅で降りて帰宅するのだが、降りられなくて、行けるところまでそのまま電車に乗り続けた。
平日の夜の各駅停車。一駅止まるごとに、学校や仕事から帰宅する人が乗り降りしてくる。
私もその人たちと同じように、いつもの駅で降りるつもりだったのに、その日だけは自分がどこで降りるかわからないまま、ずっと席に座り続けている。
だんだん夜は更けていって、乗り降りする人も少なくなってきた。
最初は何も考えられず、電車から降りる気にならず動けずにいたけど、だんだん寂しく、そして怖くなってきた。
いくつか目の駅で、ようやく「よし、引き返そう」と思い、降りて引き返すことができた。
折り返しの車内では、だんだん家が近づいてくるにつれ、安心した。
往復合わせても、ほんの1時間ほどの間のできごとだったと思う。
知らない駅から駅へと電車に乗り続けたあの時間は、ひとり旅と似ている。
でも、電車から降りられなくてただただ席に座り続けたあの夜の移動は、「旅」ではなくて「失踪」に近かったと思う。
何も考えられず、寂しさも怖さも感じず、「帰ろう」とも思えず、動けずにいたあのとき、自分は日常をすべて失っていたんだと思う。
知らない間に日常を「失う」のではなくて、エネルギーの残っているうちに積極的に日常から「離れる」旅に出られることが、今味わえる楽しみのひとつだと気づけたのだった。